オリエントスター M45 F8 装いもムーブメントも新たにした意欲作が登場した。

ブランド75周年を目の前に控えた今、静謐と余白を重んじる“静の美”へと舵を切るブランドの時計づくりと新しい美の表現から目が離せない。
メカニカルムーンフェイズは2017年以来、オリエントスターの要となるコレクションとして新しいイメージを牽引してきた。ひげゼンマイやテンプが脈動する様子をダイヤルの表側から見せる意匠は、そのまま時間のダイナミックさを華やかな演出とする“動の美”を描き出してきたが、2025年秋にリリースされた新作、M45 F8 メカニカルムーンフェイズ ハンドワインディングは、あえてこれまでとは様相を異にしている。

 2017年のRK-AM0001Sに端を発する“動の美”の追求は、その表現とともに自動巻きCal.F7X62からF7M42へ進化しながら、この秋、同時に登場する新作のM45 F7 メカニカルムーンフェイズ 2025、RK-BT0001Sへと受け継がれている。41mm径ケースの存在感も失われていない。だが、もうひとつの新作でありハイライトとなるM45 F8 メカニカルムーンフェイズ ハンドワインディングでは、ディテールのひとつひとつが主張するというよりも、要素が少ないからこそ月の移ろいゆく表情そのものが際立つ、そんな引き算による“静の美”が前景化されている。インデックスや長・短針もそうだが、すべてのていねいな作り込みが自然に質感の高い仕上げとして全体に溶け込み、あくまで月を引き立てるための静かな伴奏に徹しているかのようだ。

 12時位置にパワーリザーブインジケーターを備えるが、秒針も日付表示もない。ブルーティールが指し示すローマンインデックスの時・分以外には、6時位置の29.5日かけて巡る月齢表示こそが控え目な主役となっている。いわば、月をゆったり眺める時間に身を委ねることができる、そういう仕様なのだ。コンセプトは“夜の静寂に月がひとつ”。月の静謐さは喧騒の時間から距離を置くかのように、シンプルな造形のなかに深い余韻を生み出す。

 この新作がラインナップにもたらしたものをあえて挙げるとすれば、それは詩の持つ情緒的な雰囲気や、詩的な表現をしたいという“詩情”、言い換えれば時間の感じ方そのものを問い直すような提案だ。明らかにそれはオリエントスターが培ってきた審美性が、“静の美”という新たな境地へ歩を進める、次なるフェイズを予感させる。華美さよりも静寂、刹那のきらめきよりも永続していく移ろいを感じさせる。それがこの新たなメカニカルムーンフェイズにおける表現の軸になっている。

新しい美の表現にふさわしい新たなムーブメント

新開発のCal.F8A62。

 M45 F8 メカニカルムーンフェイズ ハンドワインディングの仕様における特徴は、まず新開発のCal.F8A62にある。そもそも手巻きのメカニカルムーンフェイズ専用に設計されたため、自動巻きのキャリバーとは異なる方向性や構造を可能とした。もちろん裏蓋はシースルーバックで、その特徴的なディテールをしっかりと鑑賞することができる。

 テンプの動きを楽しむ以外に、裏から覗く際に注目すべきポイントは3つある。ひとつは地板に施された波目模様の装飾。これは夜空の星の軌跡をイメージしたもので、波目模様は太いものと細いものが交互に配置されている。ふたつ目は、地板とブリッジのあいだからわずかに覗く青いガンギ車だ。自社開発によるシリコン製で、摩擦抵抗の少ない素材特性ゆえ、結果として70時間以上の駆動を可能にした。手巻きムーブメントはリューズを巻き上げるという行為も楽しみのひとつだが、駆動時間を伸ばすロングパワーリザーブは、リューズの負担や巻き上げ頻度を減らし、パーツの寿命に余裕をもたらすことにも繋がる。3つ目は最も遊び心に満ちたディテールで、輪列の一部が見えるよう、三日月型の切り欠きが地板に施されている。単なる手巻きムーブメントではなく、メカニカルムーンフェイズ専用ムーブメントであることをさりげなく主張するためのデザインである。

M45 F8 メカニカルムーンフェイズ ハンドワインディング
Ref.RK-BW0001S 41万8000円(税込)

“悠然とした時の姿”をテーマにし、ダイヤルの装飾的な要素を抑えた新デザインを採用した新作の手巻きモデル。シンプルな構成とすることで、きめ細かな放射目仕上げに厚クリア塗装(ラッピング加工)を加えたダイヤルをはじめ、各ディテールが持つクオリティの高さを際立たせた。

M45 F8 メカニカルムーンフェイズ ハンドワインディングの詳細を見る(ブランドサイト)

M45 F8 メカニカルムーンフェイズ ハンドワインディングの詳細を見る(公式オンラインストア)

 
 翻ってダイヤル側では、ムーンフェイズ機構の要となる月齢表示にも大幅な改良が加えられた。これまでの月齢車は、印刷や金属メッキによる一体構造だった。だが、本作では3層の別体構造となり、機能部分である歯車を備えた月齢車と、星空を散りばめた金属板のあいだに2枚の白蝶貝の“月”を挟み込み、優しい光を湛えた月が現れる意匠となった。しかも金属板に施された星空の印刷も平滑性と光沢を増したことで、質感を著しく高めている。

 こうした細部とのバランスを鑑みて、仕上げの質をさらに高めたのがダイヤルだ。ダイヤルは放射状のサンレイ仕上げを施し、そこに厚いクリア塗装を吹いている。その筋目は一般的な放射目よりもしっとりと柔らかい印象になるような手法が採用されており、厚いクリア塗装の効果でその印象はまさに柔らかく、光の角度によって表情豊かに変化する。絹のような光沢感を醸し出す。またローマンインデックスには、複数回にわたるタコ印刷で立体感を強調した。通常のタコ印刷では、転写パッドとしてシリコンが用いられるが、本作のダイヤルではゼラチン性のパッドが用いられ、通常のシリコンよりも緻密な肉盛りが施される。こうして1文字ずつ最適化されながら、印刷層を乾燥させては数層を積み重ねる工程によって、ピラミッド状の断面をもつインデックスが作られ、陰影と立体感を兼ね備えた美しい仕上がりを実現した。インデックスが自動巻きのF7メカニカルムーンフェイズよりも細いにもかかわらず、優れた視認性が確保できたのはそのためだ。

RK-BT0001Sのダイヤル。

RK-BW0001Sのダイヤル。

 ちなみにこのSSケースの素材には鍛造のSUS316Lを採用。鍛造後に地肌を切削して整え、段階的な研磨を繰り返すことで鏡面性を高めている。元よりローターをはじめとする自動巻き機構のないムーブメントは厚みが抑えられ、ケース全体の薄型化に寄与した。加えてケース厚は11.9mm、ダイヤルからサファイアクリスタル風防を支える見返しの高さも1.2mmと、自動巻きモデルと比較すると約40%も減少。風防とダイヤルの隙間が少なく、見る者の目にはダイヤルの質感が、より密度感をもって迫ってくる。つまり、M45 F8 メカニカルムーンフェイズ ハンドワインディングは、シンプルだからこそ設計から構造、仕上げまで、メカニカルムーンフェイズとしての美しさを追求したタイムピースとなった。2017年以降の一連の流れを汲むシリーズである一方、ムーブメントからケース外装、ダイヤルやムーンフェイズ機構に至るまで、まったく新しいメカニカルムーンフェイズという立ち位置にあるのだ。

M45 F8 メカニカルムーンフェイズ ハンドワインディング 掩蔽(えんぺい)
Ref.RK-BW0002N 47万3000円(税込)/Ref.RK-BW0003N 45万1000円(税込)
グレーグラデーションダイヤルを採用したリミテッドエディション。2024年に発売されたM45 F7 メカニカルムーンフェイズで取り組んだ、掩蔽(えんぺい)をテーマとしたデザインの第2弾だ。M45(すばる)を成す無数の星々をダイヤルの型打ち模様で表現し、独自に調合された塗料により、ダイヤル中心のグレーから外周に向かってブラックへと変化するモノトーンな階調を表現している。

M45 F8 メカニカルムーンフェイズ ハンドワインディング 掩蔽(えんぺい)の詳細を見る(ブランドサイト)

M45 F8 メカニカルムーンフェイズ ハンドワインディング 掩蔽(えんぺい)の詳細を見る(公式オンラインストア)

 
 一方、限定モデルとして、暗闇に光る月と昴(すばる)が天体上で重なり合う掩蔽(えんぺい)をイメージしたRK-BW0002N、ならびにRK-BW0003Nも登場する。こちらはグレーグラデーションの型打ち模様のダイヤルを採用しており、前者は100本がPSS限定でアリゲーターストラップに加えコードバンの替えストラップが付属、後者はオンライン限定で20本のみとなる。

持てる技術と作り手の思いが融合した日本的な静の美
 本作はミニマルに削ぎ落とされたメカニカルムーンフェイズウォッチだが、それは西欧的なシンプルさとはひと味違う、日本的な月の優美さを巧みに表現している。この点について、日本近現代美術史を専門にキュレーターとしても数々の企画展を手がける東北芸術工科大学准教授、小金沢 智氏にインタビューをした。

 そもそもM45 F8 メカニカルムーンフェイズ ハンドワインディングのコンセプトは、“夜の静寂に月がひとつ”、つまり夜空にぽつりと月が浮かんだ世界観を、造形や質感、色で作り上げることだったと、商品の企画・開発に携わってきた細川 登氏は述べる。すると小金沢氏は、次のように言葉を継いだ。

「今回の時計のダイヤルが持つメタリックなシルバーの美しさについてふと思ったのは、日本絵画では太陽を表現するのに金箔、そして月を表現するのに銀箔が用いられてきたということです。厚みや経年変化で、とくに後者では色が黒っぽく変わっていくのですが、掩蔽(えんぺい)をイメージした限定モデルではそうした時間の変化を経た美しさに近い印象も感じました」

Cal.F8A62に採用されている特許出願中の新型月齢車。月齢車、月を表現した白蝶貝、そして艶のある仕上げに星を散りばめた金属板をトップに重ねる別体の3層構造とすることで精緻な月を表現した。

 日本の自然観で西洋のそれと大きく異なるのは、万物のなかに精霊が宿るというアニミズム的な感覚があること。自然は征服する対象ではなく、共存する対象であり、月や太陽などの自然物を信仰の対象として見立てられる点だという。

 小金沢氏は続ける。「美術史家の辻惟雄先生が提唱されていることですが、日本の美術の特徴は3つあります。それが“かざり”、“あそび”、“アニミズム”です。“装飾”というのは明治生まれの翻訳語ですが、それ以前から日本人の生活のなかには“かざり”という言葉があって、豊かな遊び心を生活のなかに忍ばせていたんですね。今で言う美術と工芸とのあいだの境界線はなく、それらには必ずしも過剰・華美ではない装飾も表れています。月のような自然物に特別な感情を抱くのは絵画に限らず、7世紀頃から万葉集など和歌でも月は多々詠まれてきました。ですから、時計というのは時間を知るということが第一義であるわけですが、それだけでなく、自然に対する親しみ、感覚が研ぎ澄まされた美意識が、今回意識・言語化されていないところで反映されているように感じたのです」

 デザインを担当した落合寛幸氏が、開発期間中のことを思い返し、次のように話した。

「月齢を強く派手に演出するというより、お月見をしているような感覚、静的な美しさと柔らかい世界観を、デザインしながら意識していました。昔はお城に月見櫓(つきみやぐら)が作られたりもしました。西洋では月に顔が描かれていたように擬人化されることはあったと思うのですが、月を愛でること自体が日本的な感覚なんでしょうね」

 月は、宗教の強い時代は信仰の対象でもあったが、生活のなかで美しさを湛え、満ち欠けを楽しむものであり、神々しさと同時に親しみをもって受容されてきたという。

「確かに、日月四季山水図屏風のような古い屏風でも、山水の表現はダイナミックですが、月は動いているというよりシンボルのように空にあり続けるものとして、日本絵画のなかでは描かれてきました。私は逆に、作り手の方々に聞きたいのですが、この時計に込められた美意識や時間の感覚が、どのように受容されることを願っていますか? 自己表現としてのアートとはまた違い、日本絵画は障壁画をはじめとして襖や天井など建築に付随するものも多く、部屋ごとの役割に対して望まれるイメージとして描かれてきたという歴史があります。例えば広間に静寂な風景を描くことで、空間を同時に設計している。自然の美しさ、時間における静的な美とは、静けさの失われた今の社会状況のなかで貴重なもの、心の余白のようなものではないかと思うのです」

 そう話す小金沢氏に対して、細川氏が膝を打ったように、こう答えた。

「秒針を備えなかったことが、そうした余白に通じるものなのかもしれませんね。正確な時間を知るための精度は求めますが、今回のムーンフェイズに関しては単純に刻まれる正確な時間だけでなく、時間そのものを届けたいと思ったのです。つくっている場所は信州にあるのですが、時間の感覚が都会とはまったく違うんですね。きれいな夜空に近い場所でつくっているから、世界中で忙しく動き回るグローバルな時間とは異なる、空間の余白や時間の流れが今日では贅沢なことであるというメッセージがあるのかなと思います。我々が作り手として感じる生活のなかで捉えている時間を、時計として具現化したというところですね。来年の75周年に向けた新しい美、オリエントスターとして次のフェーズに挑むデザインはもちろん考えていましたが、そうしたことを意図的にやり遂げたというよりも、持てる技術とそれにふさわしいものとは何かを追求した結果、新しい表現にたどり着いたという感覚が近いかもしれません」

 そして小金沢氏は、細川氏の言葉に続ける。

「今日本で美術と呼んでいるジャンルでは、明治時代の近代化における西洋的な価値観の下、絵画と工芸が別々のものとして分たれていきました。ですが、例えばお茶の文化を見てみれば、うつわと掛け軸は一体となってひとつの空間を形作っています。現在でいう、純粋芸術と手工芸が分たれていません。そもそも日本の視覚文化は何らかの用途や役割ということを前提として、生活に密着しながら愛でられてきた歴史があります。信州だからこそ、というお話がありましたが、風土から育まれた価値観が意識的にも無意識的にも反映されていると感じました。そうしたものの発露として、新しいM45 F8 メカニカルムーンフェイズ ハンドワインディングが生まれたということが、私にはとても日本的に感じられ、そこに美が表れていると思います」