IWCと聞いて、あなたはまず何を思い浮かべますか?
定番の「パイロット・ウォッチ」や「ポルトギーゼ」、あるいは「エンジニア」の名を挙げる方が多いでしょう。これらは確かにIWCの看板であり、長年にわたり愛され続けてきた「定番中の定番」です。
しかし、IWCの真骨頂は、こうした普遍的なデザインだけではありません。「複雑機構」と「革新素材」——この二つを融合させ、物理の限界に挑み続ける「エンジニアリング」精神こそが、IWCの本質です。
今回は、その最高峰ともいえる存在、「大型パイロット リミテッド エディション XPL」に注目します。これは、従来の「繊細で高貴な」陀飛輪の概念を覆す、文字通りの「怪物」です。
なぜ「陀飛輪」に防震が必要なのか?
一般的な時計ファンの常識として、「陀飛輪」は時計工学の華ではありますが、構造上とても繊細で、衝撃には弱い存在でした。
一方で、現代のラグジュアリーウォッチの使い方は変化しています。かつてのように「晩餐会やオフィスで静かに身につける」だけでなく、「スポーツ観戦」「ゴルフ」「マラソン」など、アクティブなシーンで着用する機会が増えています。
IWCはここに着目しました。「複雑時計だからといって、丈夫さを犠牲にする必要はない」——その信念の結晶が、このXPLです。
SPRIN-g PROTECT®:物理法則を無力化する防震システム
XPLの最大のキモは、SPRIN-g PROTECT®(スプリング・プロテクト)と名付けられた画期的な防震システムです。
従来の防震: ごく小さな部品(摆輪)を宝石とばねで保護するもの。
XPLの防震: 機械全体(エングラン)をケース内で「宙吊り」にするもの。
これは、まるで高級車のサスペンションのように、機芯全体を特殊な「バネ」で支える構造です。このバネに使われている素材が、BMG(大塊金属ガラス)です。
素材学の結晶:BMGとCeratanium®
このBMG素材は、金属とガラスの中間的な性質を持ちます。結晶構造が無秩序であるため、通常の金属よりもはるかに高い靭性(じんせい)と耐衝撃性を誇ります。
IWCはこのBMGを機芯の支持体(サスペンション・アーム)として使用。衝撃が加わると、このBMGアームが機芯を優しく包み込み、エネルギーを吸収します。
また、ケース素材にはIWC独自のCeratanium®(セラタンニウム)——焼結技術によって黒色化・硬化されたチタニウム——を採用。軽量かつ耐食性、そして高い硬度を兼ね備え、パイロットウォッチとしての視認性(光沢の抑制)も完璧です。
パフォーマンスの数値化:10,000Gの意味
このXPLがどれほど「タフ」なのか、数値で表すとこうなります。
10,000 G(重力加速度)
これは何を意味するか。通常、腕時計が硬い床に落ちた際に受ける衝撃は数百G程度。人間が全力で拳を叩きつける際の衝撃も、計測すると約130Gほどです。
つまり、このXPLは、人間の拳で殴打しても、あるいは高所から落下させても、機械的に壊れない設計になっているのです。
中核を支えるキャリバー 82915
裏蓋からは、このタフネスの源であるキャリバー 82915を覗くことができます。
素材の融合: 伝統的な橋板構造を保ちつつ、シリコン(Silicon)製のエスケープホイールとアンカーフォークを採用。さらに、摩擦を極限まで抑えるため、Diamond Shell®(ダイアモンドシェル)技術が施されています。
軽量化: 機芯自体の重量を軽くすることで、防震システムの負担を減らしています。
パワーリザーブ: 80時間。これは、週末外して月曜日に着用しても、正確に時を刻み続ける余裕の性能です。
見た目は「極限のミニマリズム」
XPLの外観は、その性能同様に過激です。
サイズ: 44mm。しかし、チタニウム系素材と軽量機芯の採用により、装着感は驚くほど軽快。
文字盤: 6時位置に配置された陀飛輪を除き、あとは極限まで無駄が削ぎ落とされた「镂空(ロウクウ)」デザイン。
ディテール: 12時位置の三角形インデックスは、元祖パイロットウォッチ(B-Uhr)へのオマージュ。しかし、それ以外はCNC加工によるシャープな稜線と、黒色の無機質な質感が、未来を感じさせます。
📝 総括:IWCの「守破離」
IWCは、長年にわたり「伝統的な高級時計メーカー」としての地位を確固たるものにしてきました。
しかし、このXPLは、「伝統を守りつつ、常識を破る」というIWCのもう一つの顔を象徴しています。
守: パイロットウォッチのDNA(三角インデックス、読みやすさ)。
破: 陀飛輪という複雑機構に防震を施すという、従来の常識破り。
離: セラタンニウムやBMGといった、他に類を見ない素材工学の追求。
152万円という価格は決して低くはありません。しかし、これを単なる「装飾品」として見るか、それとも「1万Gの衝撃に耐える、現代の機械工学の結晶」として見るかで、その価値は大きく変わります。
このXPLは、理系男子のロマンを具現化した、まさに「究極の男の腕時計」だと言えるでしょう。